Trex70’s blog

特別支援教育士として、障害児の教育相談を2000組近く行い、引退後は、毎年200冊以上の本を分野に関係なく暇に任せて読んでいます。Trexはティラノサウルス・レックスのこと。大好きな恐竜です。

ブラジャーで天下をとった男 ワコール創業者 塚本幸一/著:北康利

これは、女性下着のワコールの創業者の塚本幸一の伝記である。それと塚本を支えた女傑たちと男たちの物語でもある。

私は、ワコールという会社は創業時からずっとブラジャーなどの女性下着を作っている会社だと思っていた。しかし、そうではなかったことを知った。

幸一は、近江商人の血を引く塚本一族の一人だった。近江商人は江戸時代日本全国に進出していた。塚本家は東北でも手広く商いをしていたが、幸一の父・粂次郎は相場に手を出し、本家のお金まで使い込んで大きな借金をし、その地に居られなくなり京都まで追いやらた。そんな粂次郎は一文無しのはずなんだが、京都で事業を起こし(元手はどこにあったかは不明だが)、一家は暮らせていた。幸一はそん中であまり苦労もせず成長し、八幡商業学校を卒業した。当時の日本をアジア大陸から欧州列強の支配を解放するとして、第二次大戦の前哨戦となるシナ(中国)に兵隊を送り込んでいた。幸一も徴兵制度に寄り外地に派兵された。

幸一は、ビルマ(現在はミャンマー)でインパール作戦(戦死や餓死者で3万人もの死者を出した)という無謀な参加し、命からがら生き残る。

日本に復員してから幸一は、模造真珠の販売を始め、信頼できる帰還兵を集め、商いの第一歩を踏み脱した。水晶などの女性用の装飾品を次々に仕入れ販売し事業を拡大していき、和江商事を起こした。

これからの日本の女性は洋装化すると女性用下着に目をつけると考え、ブラパットを仕入れブラジャーの世界に進出し、夜行列車で東京まで行き販売した。そんな中で事業拡大に伴い、女性の事務員として内田美代を雇い入れた。しかし、事務員として雇ったはずの内田は、商品管理や販売員(デパートでの店頭販売など)として能力を発揮しだし、和江商事(後のワコール)発展の大きな礎を築く。幸一は女性の能力にも気づいた。

幸一は、下着を仕入れ販売するだけなく、製造している会社と業務提携し(やがては吸収合併し)商品確保にも力を入れ、渡辺あさ野と出会う。渡辺は製造管理に明るく、和江商事の製造部門を一新させ発展の大きな礎となる。

デパートでの下着ショーなどの企画もし、大きく国内で販路を増やし、当時のデパートの老舗三越の攻略にも成功する。幸一は、海外視察し、日本人の手先の器用さを用いた優れた縫製技術があれば、アメリカの下着メーカーとも台頭に渡り合えると考えた。欧米風の洗練されたデザインができる下田満智子をデザイナーとして雇い入れた。下田は、日本人の合わせたブラジャーを次々と企画し、ワコールの大きな発展の礎となった。

ワコールは、幸一の人柄は当然のことながら、女傑たちによって大きく発展していった。

この物語は一人の男の成功譚と捉えず、女性の力を引き出すことの大きさを分からせた。