デフ・ヴォイス
私のいないテーブルで
龍の耳を君に
刑事何森 孤高の相貌
刑事何森 逃走の行先
これらは全て、丸山氏の著書だ。
デフ・ヴォイスから、丸山氏の著作に興味を持ち読み漁った。
いずれも聴こえない人(聾者)について書かれたものだが、聴こえない言っても、
①生まれつき聴こえない人、
②中途で失聴し聴こえなくなった人、
③補聴器をつければある程度聴きとれる人、
④人工内耳の手術をし訓練をしてある程度聴き取りができるようになった人、
また、
⑤両親・兄弟姉妹とも健聴者で自分一人だけ聴こえない、
⑥両親・兄弟姉妹・本人とも聴こえない、
反対に
⑦両親・兄弟姉妹は聴こない人たちで本人だけ健聴(コーダ)者 と
本人、または家族の聴こえの状態の違いで、様々なドラマや事件があることを丸山氏は教えてくれた。
私もハローワークで、全く聴こえない人の就労のお世話をしたことがある。私自身は手話はまるっきりできないので、パソコンを使ってモニターに文字を打ち出し、相手はスマホを使って懸命にコミュニケーションをとって、企業に同行し再就職につなげた。
中には、書き文字が苦手もしくは分からない人もいた。こういう場合は手話ができる人が対応に当たっていた。家庭や学校で文字を教えてもらえずに大人になった人達だ。
丸山氏の本の中で、聾者は頭が悪い、手話を使うと馬鹿になると考える人がいるということが書かれていたことに驚いた。ハローワークに務める前、民間で障害児の教育をしていたのでそのようなことは考えたこともなく、どのように伝えれば理解してもらえるか、どうすれば確認できるか、伝わらないのはこちらの伝え方が悪いから、工夫が足りないからと思っていたのに。
昔、川渕依子著「手話は心」と山本おさむ著のコミック「どんぐりの家」を読んだが、手話を理解できる健聴者は少ないからと聾学校でも手話を禁止という、聾唖者の辛い歴史があったことは知っていた。
家族の中で自分一人が聴こえないという環境で、かつ誰一人手話を使わず、手話を禁止され、聴こえないのに口話を強制されるというのは、正しく発音できているかどうかも分からず、また、周囲からは変な声と笑われ、苦痛以外何もないのではと思った。
家族の中にいても、疎外感、孤独を感じ、家族から愛されていない、生まれてこなければ良かったと思ってしまう。
実際に、手話通訳士として、買い物や通院や障碍者手帳の取得や更新など日常生活、犯罪に巻き込まれた人の支援などで働いている人たちがいることに感動と尊敬の念を抱きます。
また、主人公のアラちゃんと何森刑事の反骨精神にも共鳴する。