物語の五分の四は、こんなアホなオヤジよくいたなと思うほどズレているオヤジの話。
孫の面倒見るのが嫌だとか、孫のウンチのついた洗濯物を触るのも嫌だとか、女は母性本能を持っているものだとか、女房は子育てするのが当たり前だとか、良妻賢母が当たり前とか、結婚すると家に入るものだとか、一体いつの時代のことを言っているんだ、このオヤジはと男の私でも思ってしまうようなことが延々と綴られていた。
私は、食事は自分では作らない。時間がかかり過ぎる。お金をかけすぎる。等々、妻から言われて、”作るな”ということになっている。しかし、食べ終わった食器は洗っている。できるだけ、洗濯物も取り入れ、畳んでいる。
若い頃に、「食器洗ったぞ」「掃除しておいたぞ」「洗濯物を取り込んだぞ」とは言わないようにと、「私はそんなこと一々言わないでしょ」と妻から言われたことがある。
家族なんだから、”やって当たり前でしょ”と言われ、尤もだと反省したものだ。
朝7時過ぎには家を出て、飲みにもいかず仕事をし続けて家に戻ると夜11時過ぎ。
子ども寝顔を見るのがやっとだった。それでも時々は、ウンチのついているオシメを変えたり、オシメを洗ったり、休みの日には、本を読んであげたりしたものだ。しかし、こんな時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。
孫の相手は楽しいけれど、こちらが歳を重ねるとともに疲れるようにはなってきた。
この本の主人公・庄司常雄は大手石油会社を部長職で定年退職となり、悠々自適の老後を夢見ていたが、妻・十志子は「夫源病」を患い、常雄の傍にいると「閉所恐怖症」になると避けられ、娘・百合絵からは「アンタ」呼ばわりされている。
常雄にはその理由が分からない。
息子夫婦から、孫を保育園に入れるのでとお迎えを頼まれた。しかし、どうして自分が行かなければならないのか、男のすることではないと常雄は不満を感じる。
なぜ嫁の麻衣は、家にいないで働きに行くのかとも思っている。そのことを口に出すと十志子や百合絵がどんどん遠く離れていく。
孫の世話をしていくことで、主婦は大変なんだということが分かってきた。・・・・・3食昼寝付きなどと偉そうなことは言えないことを身をもって知る。
友人から、「奥さんが口をきいてくれなくなった。」「食事を作ってくれない」という話を聞くことがある。理由が分からないというのだが、兎に角、謝れとアドバイスする。
反対に、我が家は私の方が口をきかなくなる。私はよく怒られる。妻から怒られ過ぎると、言い返さずにダンマリを決め込む。しかし、私の方が、二日と続けられない。
こんな男に愛想をつかさないでよく居てくれるものだと思う。妻にもこの事は言ったことがある。私は幸せもんだと思う。妻には感謝。この本を読んでよけいにそう感じた。